pipiyokoのブログ

なんてことないアラサーとアラフォーの間。不器用。

不妊治療の話

治療に入ってペーペーの私だが、やはりというか、ついにというか、隔日で注射コースになってしまった。

 

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の"なりかけ"というものらしく、卵が育ち切らない状態で卵巣に溜まってしまう病気らしい。

 

痛みも熱もなく、いつからそんな状態になったかもわからない。なぜ、そうなったかも分からないので治療は対処療法になる。

 

最近太りました?→太りました!

体毛濃くなりませんでした?→なんならヒゲ生えました!

 

というわけで、太ったのもヒゲ生えたのも不摂生じゃないという言い訳にはなったものの、この病気思いの外厄介だった。

 

どう厄介なのか。

 

結婚しないで子ども、は論外だったので考えてなかったけど、結婚したら子供かな?という安直な選択を「あなたは、意志を持って、子供を産むことを選択するんですね?」と毎回確認されるのがまず厄介。

 

私の場合、セックスしてたらいい時期にコウノトリが来て妊娠してしまったんですよね、ということは起こらない。薬を服用しなければ卵は溜まるだけ。薬と注射を併用して、意識的に卵を育て排卵も「させる」。だから、「あえて」妊娠を狙って手を入れているのよね。二人の愛の結晶うんたらは、入り込む隙がない。

なんとなく出来ちゃうということはなく、自然に出来た妊娠出産の結果は同じだったとしても、日々この選択が正しいのか、責任を突きつけられるような気がするのだ。

 

それでいて、排卵した後受精するかは生命の神秘に託されるわけで、生理がきてがっくりする気持ちを持たなければならないのが次に厄介。

 

始めたばかりで恐縮だが、私の場合はダメだった時さえ自力で生理を起こせなかったので薬を服用した。なんかもう薬の力でどうにか動かしているようなもんだな…という感じで、これでも子宮の外見的機能には問題ないんだから、厄介だ。

 

病気で子宮を失う喪失感は私には分からないけど、そこに確かに有るのに機能しないのもまた、辛いものである。圧倒的な不能感を感じる。

 

自分が女として不能であること、というのはどんな気持ちなんだろう。

身体はどこからどう見ても女なのに、足りない感じ。

 

それを感じたくなくて、子どもが出来ることを願っている。

 

とても厄介な病気だ。こんなことがなければ、私は自分の気持ちに気づくことなく、もっと無邪気に、簡単な気持ちで子どもを持てたかもしれないのに。

 

ベビちゃん待ち♡とキラキラした女の子、子どもを慈しみたいと思う女性、それらに私はなれないだろう。自分の不能を埋めるために、頑張っているんだから。

 

誰もが結婚したら願うことが、私には月にかかる治療費と頭を下げて捻出する仕事からの早退でかろうじて成り立っている。(まあそんなに仕事したいのか?というと思うところはあるけれども)

 

夫は話を聞いてくれるけれど、毎月一度しかないチャンス、卵巣が腫れるかもしれない毎日、週2回の内診、注射、不能感、タイムリミット、治療費…

 

分かってない。夫には、私の気持ちが。

 

分かれってほうが無理なのかもしれない。私が分からないように。同じように子どもが3年出来なかった母が、毎月従兄弟の赤ちゃん情報を写真付きで寄越すように、

他者への思いやりなんて、自己満足の範囲でしか機能しないんだよな。

 

身近な人が妊娠していく。自分の不能感は隠して産休まで笑顔で祝福し続けるんだろう。

 

私の気持ちは誰が救ってくれるのだろう。