目ヂカラの話
就活の明暗を分けるのは表情なんでないかと思う今日この頃、
人は人の心地よさを表情で選んでいるのではないか。
鏡に映る静止画の自分を見て整ってるとか整ってないとか、そこは問題じゃないんじゃないか。
というのも、会社紹介のビデオに、たまたま働いてる最中の自分が映り、大したことしてないのに人殺しそうな表情をしていたからです。
何が問題なんだろう?
仕事中に微笑むのは無理だし、しなくていいと思ってる。大半は、PCカタカタ言わせてるよな? ※人と会っている間は別として
若い時分には某顔面センターに似てると言われたことがあるのでわかってるけど、顔のパーツが中心に寄っているのは否めません。父親譲りの太眉は下手にカミソリ当てると青くなる。太眉がトレンドになってお姉さんはうれしい。
だからね、目と眉と鼻の距離が近いのが要因じゃないかと思うんだけど、それってどうしようもないじゃないですか?
しかし、確かに、人を殺しそうな目をしていて、たぶん面接での受けは悪いでしょう。
もちろん、見目がいいに越したことはないのです。笑った時に見えるのは白くて揃ってる歯の方が印象がいいし、はげないほうがいいし、太らないほうがいい。清潔感を維持したままってのが難しいから。
だけどドラマでも見るだろ、イケメンがイケてない役をすると、魅力ガクッと減るよね。元がめちゃんこいいから、まだ見られるけど。
いはんや一般ピーポをや、と。
表情って大事なんだなー。自分を動画で撮影する趣味はないので、気づかなかったけどいい気づきになりました。
夫からは「仕事モード」(例の人殺しそうな顔)はめっちゃ怖いから家ではしないでね。と言われているのだが、どうしたらいいのか解決策は見つかっていない。
マウンティング男子の話
水谷さるころ様という方のこの記事を見て「おおおお」というか「納得!」と思ったので超個人的な話をする。
(この記事のことよく覚えていて、その数年後に「結婚できればいいと思ってたけど」を購入し同じ著者なのを知る)
化粧マウンティングはされたことないけど、独身のころは女性ではなくてなぜか男性にマウンティングされた。
始まりは多分、27,28になってすぐの頃、飲み会の場で
「もうお前も若くないな」
と言われたのが最初だ。
まあ、若くはないかもしれないけど、それあんたが言う?!と思ったのをよく覚えている。
その人は50代だったから。
次は35そこそこの同僚から。
「pipiyokoさん、もう既婚者の愛人になるしかないよ!」(職場には既婚者が多かった)
とか
「pipiyokoさんももう30過ぎでしょ、40くらいの奴じゃないと相手にされないよ!」
とかよく言われていた。
(繰り返すが、当時同僚は30半ばだった。)
職場だし、特に恋愛話をしたわけでもなかった。
こういうことって年をとった時の通過儀礼なのかな?
Webではよく見るけど実際どうなんだろう。
30代が年取ってると思わなかったせいなのか、容姿の十人並みなどとっくに自覚していたためか、こういったことを言われても、同じチームメンバーなりのいじりかな?あまりにひどすぎること言ってんなあ、つか40代のおじさんにも謝れよ あはは と思ってしまって受け流していたが、今思えば怒っても良かったのかもしれないし、今思えば怒っていたのかもしれない。
同僚は軽口だったらしく、同僚の後輩たちも影では怒りの対象にしていた。
「若い子は優しいなあ、彼の為に怒ってあげるなんて」
と今でも思っている。
この前会った時私は指輪をしていたけど、気づいてないんだろうな。
都合の悪いものは目に入らないもんね。
不妊治療の話
治療に入ってペーペーの私だが、やはりというか、ついにというか、隔日で注射コースになってしまった。
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の"なりかけ"というものらしく、卵が育ち切らない状態で卵巣に溜まってしまう病気らしい。
痛みも熱もなく、いつからそんな状態になったかもわからない。なぜ、そうなったかも分からないので治療は対処療法になる。
最近太りました?→太りました!
体毛濃くなりませんでした?→なんならヒゲ生えました!
というわけで、太ったのもヒゲ生えたのも不摂生じゃないという言い訳にはなったものの、この病気思いの外厄介だった。
どう厄介なのか。
結婚しないで子ども、は論外だったので考えてなかったけど、結婚したら子供かな?という安直な選択を「あなたは、意志を持って、子供を産むことを選択するんですね?」と毎回確認されるのがまず厄介。
私の場合、セックスしてたらいい時期にコウノトリが来て妊娠してしまったんですよね、ということは起こらない。薬を服用しなければ卵は溜まるだけ。薬と注射を併用して、意識的に卵を育て排卵も「させる」。だから、「あえて」妊娠を狙って手を入れているのよね。二人の愛の結晶うんたらは、入り込む隙がない。
なんとなく出来ちゃうということはなく、自然に出来た妊娠出産の結果は同じだったとしても、日々この選択が正しいのか、責任を突きつけられるような気がするのだ。
それでいて、排卵した後受精するかは生命の神秘に託されるわけで、生理がきてがっくりする気持ちを持たなければならないのが次に厄介。
始めたばかりで恐縮だが、私の場合はダメだった時さえ自力で生理を起こせなかったので薬を服用した。なんかもう薬の力でどうにか動かしているようなもんだな…という感じで、これでも子宮の外見的機能には問題ないんだから、厄介だ。
病気で子宮を失う喪失感は私には分からないけど、そこに確かに有るのに機能しないのもまた、辛いものである。圧倒的な不能感を感じる。
自分が女として不能であること、というのはどんな気持ちなんだろう。
身体はどこからどう見ても女なのに、足りない感じ。
それを感じたくなくて、子どもが出来ることを願っている。
とても厄介な病気だ。こんなことがなければ、私は自分の気持ちに気づくことなく、もっと無邪気に、簡単な気持ちで子どもを持てたかもしれないのに。
ベビちゃん待ち♡とキラキラした女の子、子どもを慈しみたいと思う女性、それらに私はなれないだろう。自分の不能を埋めるために、頑張っているんだから。
誰もが結婚したら願うことが、私には月にかかる治療費と頭を下げて捻出する仕事からの早退でかろうじて成り立っている。(まあそんなに仕事したいのか?というと思うところはあるけれども)
夫は話を聞いてくれるけれど、毎月一度しかないチャンス、卵巣が腫れるかもしれない毎日、週2回の内診、注射、不能感、タイムリミット、治療費…
分かってない。夫には、私の気持ちが。
分かれってほうが無理なのかもしれない。私が分からないように。同じように子どもが3年出来なかった母が、毎月従兄弟の赤ちゃん情報を写真付きで寄越すように、
他者への思いやりなんて、自己満足の範囲でしか機能しないんだよな。
身近な人が妊娠していく。自分の不能感は隠して産休まで笑顔で祝福し続けるんだろう。
私の気持ちは誰が救ってくれるのだろう。
志乃と爺さんの話
平日の22時半。
某チェーンのコーヒーショップに私はいた。
家にまっすぐ帰らずコーヒーショップに寄ったのにはそれなりの理由があったが、それはおいおい書くとして(それを書きたくてブログを立ち上げたんですけどね)、とにかく私は憔悴してコーヒーをすすっていた。
座っていたテーブルは背もたれのない椅子が等間隔に配置されている大きな円卓で、こんな時間なのに店内は客で賑わっており、座席に余裕はない。
隣のOLたちがいなくなったそのすぐ後に、爺さんはやってきた。
70代くらいかなあ、スツールに慣れた仕草で座り、スーツは洒落ていた。
ただ最初は、「艶男のオールドバージョンかな?」くらいの印象だった。
爺さんの隣は空席だったが、あまり時間をたてずに、またこれも60代半ばくらいの女性がお盆を片手にやってきた。
「志乃さんありがとう」
どうも爺さんの連れらしい。
「コーヒーでよかったかしら」
お財布を開ける志乃さんに、
「よしてくれよ志乃さん、俺は一度あげたお金はもらわない主義なんだから」
爺さんは酔いながらも粋なセリフを吐いていた。
「でも、お釣りにしては多すぎるわよ」「いや」「でも…」
飲み会の後の二次会だろうか?何度かお金のやるやらないを繰り返した後、二人はスツールに座り直した。
爺さんと志乃さんがどういう仲なのかは知らない。
もしかしたら、何かのお稽古事の仲間かもしれないが、自分の両親より少し年上であろう二人は、夜のコーヒーショップで恋愛をしているようだった。
「もうね、志乃さんに会えただけでも俺はうれしいんだ」
爺さんは志乃さんの手を取ろうとする。
志乃さんは「ふふふ」と曖昧に笑う。片手は頬の横にかけられ、逆の手は爺さんに握られそうで握られない場所に置かれていた。
「本当?志乃さんもうれしいの」
その言葉に否定も肯定もしない。志乃はいい女なのだ。
(すげええええええええ…!!)
会話盗み聞くのどうなのよ、という問題はあるけどとにかくすごい。そのモテ仕草、20代で身につけたかった…。
「志乃さん、俺ね、」
「一生かけても君を守るよ」
(すげええええええええ…!!)※2回目
(すげえよ、爺さん!!爺さんの一生ってあと何年なのかわかんないけど!!)
今時の草食男子にこれは言えまい。つーか、私も初めて聞いた。
志乃さんはそれになんて答えたんだろう。
席を立ったから分からないけど、ババアになっても爺さんみたいに粋に生きてみたい。
無理か。
blogを書くきっかけ
最近結婚した。結婚できたというべきか。
がらっとなにかが変わると思ったけど、そうでもなかった。
変わってほしいと思ってたところは自動では変わってくれなくて、期待が外れて右往左往。
気づいたことをつらつら書きます。共感してもらえたらうれしい。